世界を食べる?かんだがマジック!

とにかく世界を回ります! 食べたりふれあったり? かんだがさんが世界でコミュニケーション!




昭和30年6月の19日・・・・
おそらく18時頃、
東京は上野の谷中清水町(今の池之端)、上野動物園の裏門の通りに
面した一軒家で私は生まれた。
どんな時代かというと、オールウェイズの映画舞台の3年前であり、
バックトゥー・ザ・ヒューチャーで、マーティーが戻った過去、
1955年!その年である。

当時子供が病院で取り違えられる事件などがあり、神経質になった
我が家では、自宅出産という形で私を産婆さんが取り上げ事になった。
柳田家の長男誕生である。

赤ん坊の頃の柳田昌宏君はいたっておとなしく機嫌の良い、滅多に
泣かない子であった。
偏食が激しく、やせていたが健康で、言葉・足も速く、ハイハイを
する前に、突然立ち上がって歩いたというエピソードを持っている。

当時の上野の街は家風呂がほとんどなく、大半の人達が銭湯に行き、
勿論そこが良きコミュニケーションの場所となっていた。
私はその銭湯で産湯をつかり、今も六龍鉱泉と言う名の温泉として、
谷中の名所となっている。

そんな谷中の街で柳田君は5歳まで生活したのである。

家の斜め前には駄菓子屋があり、夏には風鈴売りや金魚屋が
声を高らかに売り歩いていた街である。

ある選挙の日に突然近所の子と一緒に都電に乗って出かけてしまい
行方不明になる。
3歳半ぐらいの時である。
夕方に手を引いて戻ってきた私を見て、
どこに行っていたの?
等と聞いてもわからない大人達がいた。
6歳の女の子と3歳半の女の子の小旅行であった。
記憶をたどると、実は都電に乗っていたのである。
それも私が誘った記憶がある。
初めてのナンパ(笑)であった。

とにかく平和で贅沢ではないが、貧しくも金持ちでもない、町の生活
が続いていた。

そんな頃家に初めてのテレビが届いた!
勿論近所にはテレビなどほとんどなく、我が家に力道山のプロレス
中継の時は、沢山の街の仲間達が手みやげを持って現れた。
まさに3丁目の夕日の世界であった。

このブログを書いているうちに、なぜかもう一度そこに行ってみたい気が
してきた。
次回はその取材結果を紹介すると共に、映画”オールウェイズ”の
魅力について考えてみたいと思います。
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オールウェイズ3丁目の夕日を見てきた。
映画のレビューなどは書かない私なのだが、見るまでのいきさつも含めて、
色々と考えさせられることがあったのでここにアップしたいと思った。

私にとっての映画はマジックの作品や、ルーティーンを作るのに不可欠な
存在である!
この話を初めて聞く人には、少し不思議に思えるかも知れないが、いわゆる
映画の中のイマジネーションをマジックを使って、現実のエンターテイメント
に作り替えるからだ。
今回もそんなことを期待しながら映画を見に行った・・・・・。
・・・・とは、言い難かった。
それはこの作品がCMとして映画館などで、放映し始めた頃からの疑問が
あったからなのである。

髪の毛が長い!
変な言い方だが、日本の戦時中・戦後を描いた映画の配役の髪型が、
どの映画を見ても、当時ではあり得ないほど髪の毛が長いのである。

昭和30年代初頭の日本の子供や若者は、ほとんどが刈り上げである。
坊主頭がいたら、それは5分刈り以下であり、髪の毛が長い子供などいたら、
近所の親父がバリカンを持って飛んできた時代である!
そんな時代に長髪のタレントが出てきてももちっとも信憑性がない!
そのため、いつも邦画を見て落胆するのである。
勿論、日本の役者の芝居下手も耐えられない!

私はたかが1本の映画を見るのに葛藤した。
忙しい時間を邦画のために割いて良い物だろうか?
何を馬鹿な・・・・!
と、思うかも知れないが、悪い映画を見ると、自分の作り出す作品にまで
悪い影響を及ぼす。

同僚のマジシャン、マスター仁に言わせて見れば、DVDで借りてみる程度で
十分だと言い切る!
ちなみに彼は数日前に、ブラザーズ・グリムを見て、憤慨していた(笑)。

しかし私はこの作品を見ることを決めた!
インターネットの映画レビューにも、ほぼ満点の評価のある作品!
そして自分の生まれた時代、そして生まれた場所を描くこの作品に、
なぜかものすごく惹かれたのである。

今回はここまでとする。
この続きはシリーズで色々と書いていこうと思うが、次回は私の生い立ちについて
少し語っていこうと思う。

私と3丁目の夕日・・・・。
どのような関連があるのだろうか?

こうご期待! このページのトップへ



2005年11月7日
遠藤大河のマジックキャッスルオーデションが終わった。
今回はマジシャン図面バーとしてのオーデションだけでなく、
パフォーマンスの許可を得るための大事な挑戦でもあった。
実力は十分にあったとしても、言葉の壁や文化の違い!
緒川集人以来、一人も出ていない挑戦である。
結果から言うと、2006年4月より後にスケジュールを
入れると言うことになった。
見事合格である。

この結果を彼の努力と賞賛するとともに、後輩に対しての
限りない配慮と協力を惜しまなかった、緒川集人氏に対して
大きな拍手を送りたいと思う。
利己主義なマジシャンの世界にあって、緒川集人氏の仲間に
対する思いやりは素晴らしい物がある。
そういう彼も11月の5日で30才になった。
時のたつのは速い物である。 このページのトップへ

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